無条件の愛*シータヒーリング

イワナガヒメとハヤコと火

イワナガヒメ 美醜

美醜についてのこじらせ

長い間、私は、相当な、
こじらせ女子でした。

女性である自分についてかなりの
コンプレックスをもっていました。
 
・華やかな人
・うつくしい人

について、
相当なネガティブを抱いていました。
 
ふいに「イワナガヒメ」のことが
浮上してきたので、
回想をしてみようと思います。

イワナガ姫はコノハナサクヤ姫の
お姉さん。

コノハナサクヤ姫(木の神さま)は
うつくしい女性の代表で、
イワナガ姫(石の神さま)は
みにくい女性の代表です。

かわいいほうのりえちゃん

 

中高生のとき、
あこがれの同級生がいました。
 
女子校なので、女子が女子にあこがれるということが、
普通にありました。
 
「里枝(りえ)」ちゃんというその人は、
かわいくて明るくて、みんなの人気者でした。
 
一方の私は、人が苦手、休み時間が苦手、会話が苦手、
つくり笑いしかできない、内向きな女子でした。
 
本を読むのがすきで、
ひたすら図書室にかよっていた、
ちょっとネクラな、マジメ女子。

 
思春期の女子は残酷です。


里枝ちゃんは「かわいいほうのりえちゃん」と
呼ばれていました。
 
私は、苗字で呼ばれていました。

りえちゃんはギター部、
私は器楽部。
 
高2になってクラブの中心学年になったとき、
りえちゃんは指揮者になっていました。
 
一方の私は、指揮者に立候補したものの落選し、
バイオリン担当の華やかな女子が、
指揮者になっていました。
 

生まれもった華やかさ、
美しさ、女らしさ

 
私にはないもの。
私は女性としての自分を、
ひたすら否定しつづけました。
 

 

人気者の女子の隣で

女子校を卒業して、共学の大学生になって、
状況は悪化していきました。

 
私は、盲学校研究室。
入学してすぐのキャンプで
同じ班だった、
家庭科研究室の、同じく女子校出身の
Kちゃんと仲良しになりました。
 
Kちゃんが、
どこにいくにも、
私をつれていってくれたのです。 
 
はじめて味わう、
女子とつるむ感覚。 
 

 
うちの学部の男子の間で、
女子の人気1、2は、
家庭科研究室と音楽研究室。
 
家庭科研究室のKちゃんが、また、
かわいらしくて
うちの学部で、学年1、2位の
人気者だったのです。 
 
一般教養の間、Kちゃんと私は、
ずっと一緒でした。
  
人気者で、
一途に片想いして、
いっそうきれいになっていく
Kちゃんを横目にみながら、
 
私は、男子との距離感がわからないまま、
悪いセフレのような微妙な関係に
からめとられていきました。
 
女子校のときよりいっそう、
女子としてこじらせていったのです。

不倫からのふたり「妻」

大学はこじらせたまま卒業しました。
 
卒業前3年のとき、
はじめての海外旅行で訪れたエジプトで、
相手の勢いのまま、卒業したら結婚しようと
約束をしました。
 
日本で社会人になり、
学生のときの口約束は現実的ではなくなり、
同じ会社で同期だった男性と
同棲がはじまり、
エジプト男性に指輪を返しました。



会社の彼との同棲を解消し、
エジプト男性への未練をかかえたまま、
阪神淡路大震災をむかえました。
 
震災から半年後、
帰宅するタクシーで出逢ったのが、
後に入籍する男性。

この男性には妻子がいらっしゃり、
不倫関係を経て、
彼、妻子さんと私で同居する
「家族」がはじまりました。


 
彼のおくさんは、きれいな人でした。
 
最終的には、お子さんのことで一致団結し、
一緒に学校行事に参加する関係になりましたが、
 
うつくしい人、華やかな人と
華やかでない自分という図式で、
たくさんコンプレックスを感じました。

だけど、少し変化も。
  
いってもらったことがあったのです。
見た目より、心だから。 
 
うつくしいコノハナサクヤ姫と、
醜いイワナガ姫の物語。
 
姉妹で嫁いだのに、
醜いと返されたイワナガ姫。

イワナガ姫の役回りがおおかった私に、
ほのかに希望が芽生えたのでした。

美醜のテーマの根っこ


何度となくやってきた「美醜というテーマ」

それは、私自身が引き寄せていたもの。

掘り下げてみると、
土台にあった思い込みは、
 
・華やかだと殺される。
・目立つと殺される。

でした。



自分がもっている思考パターンを、
正面からみつめることが難しい場合、
 
同じような歴史的な状況へと
自分を重ね合わせることがあります。

イワナガ姫とコノハナサクヤ姫の物語へと、
重ね合わせてきた、
うつくしさ、華やかさへの恐れや、恨み、憤り。


華やかだと、目立つと殺される、
という思考パターンを引き抜いて書き換え、
傷ついたエネルギーを癒やすことで、

美醜についてネガティブな現実を
創造することはなくなるでしょう。



イスラエルの荒野を訪れて、
木がないことに、親しみを覚えていました。

山の本体は、岩だから、と、
木を排除するような思考がありました。

日本の山の木々を楽しめるようになったのは、
ふたり妻の経験を経て、
私の中でのイワナガ姫が、救われてからでした。

イワナガヒメの想いへの
掘り下げの展開は、アメブロにて。

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